弦、切れる

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ピアノを練習していたら、うん、切れました。
低いほうのA♭。ヘッドホンをしていたので、あれ?なんかすごい音した?鉛筆でも落としたかな、と思ったのですが、まじかあこれ。
小さいころからピアノを弾いてはいるけれど、弦を切ったのは初めてだと思う。びっくりした。
とりあえず弦を引き抜いた。まだ一本は張れているので、音は出る。小さいけど。
調律師さんに頼まないとなあ。全体の調律もだけれど。


あんまり激しく弾くタイプではないし特別多く弾く音だとも思ってなかったけど、切れるときは切れるものだなあ。

「最近何してるの?」という質問をされることが多かったけど、はい、こうして弾いています。わかりやすく証明になってちょっとふふふん。





2017/03/27 21:34 | 雑記  TOP

死ぬのがこわいがピアノは弾く

 実家に行くたびに、「自分は死ぬのだ」ということを思い出している。とても恐ろしくなって、叫び出しそうになる。



 2週間くらい、北海道にいた。
 馬鹿みたいに寒い1月。試される大地北海道。瀬戸内の海はいつもとても優しいけれど、北海道の冬は人間を殺しにきている。


 どうしてなのかは、わからない。でも、実家の、近代的な、「お湯が沸きました」と喋る滑らない床の風呂場に居るとき。
 あるいは、祖父母の家の、空気も温度も冷え切っている古めかしい二階の部屋で、電気毛布で温められた布団に入って就寝しようとしているとき。


 いきなり、がつん、とやられる。


 おれは死ぬ。絶対に死ぬ。そうして世界から永遠に失われる。死に続ける。だがそれでも世界は続いていく。しかしおれが死んだら世界を認識できないわけだから、世界は終わりだ。おれが死んだら世界は終わる。世界が永遠に終わり続ける。
 なにもない。
 怖い。

 どうしよう、こわいこわいこわいこわいこわい。
 こわいという気持ちすら死んだら残らないのだろうが、それでもこわいものはこわいんだよ。


 死んだら何もない。





 ということをぐるぐると数日考え続け、最終的に実家でブリーチ読んだりバガボンド読んだりしてたら恐怖は段々収まってきたのだが、おれの脳みそが結局行きついたところは人生の無意味さだった。

 生きようが死のうがどうでもいい。
 誰が好きとか嫌いとか、不機嫌な顔をしちゃいけないとか、あったかくして布団に入らなくちゃいけないとか、未来の自分のために今頑張らなくちゃとか、ひととしてまっとうでありたいとか、
 ぜーーーんぶ、ほんとうは、どうでもいいことだった。

 だって死ぬし。

 そう、死ぬのだから、人からの評価とか、あるいは自分で自分のことをどう思うかとか、そういうのってどうでもいい。過去の自分や未来の自分にどう思われようかとか知ったことではない。今の自分は今しかいない。過去の自分も未来の自分も、今からすれば他人も同然だ。そして、未来の自分が過去の自分より偉いというわけじゃない。8歳の自分も27歳の自分も40歳の自分も、等価だ。
 なにをしたっていいし、なにもしなくたっていい。
 うん。


 と思いながら、大島の家に帰って、何日か寝て過ごした。
 飯は食っていたが、特に意味のあることはしなかった。ピアノも弾かなかった。なにかする理由が見つけられなかった。

 1日目、夢を見た。北海道の片田舎にあるジャズのライブハウスで、背の高い外国人デュオとピアノを弾く夢だった。
 2日目、ピアノを弾く夢を見た。詳細は覚えていない。
 3日目、リコーダーを吹く夢を見た。管楽器もすきだなと思った。曲はグリーンスリーブスだった。



 …………。
 わかったよわかりましたよ弾けばいいんだろうがよ弾けば。

 そうやってなし崩し的にピアノを弾き始めた。
 人生に意味はないが意味があっても特に困ることもない。
 音楽をやっていた人間が大体罹る「楽器に触れていないと気持ち悪い」っつー呪いにずっと背中から呪われながら、おれは今日も生きるんだろう。
 楽しい人生with呪い。



 あーはらへった。





2017/02/08 22:08 | 雑記  TOP

明けましてお目出度うございます

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遅ればせましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


なんだか今年はいいことありそうな気がする。

去年は、もうほんとに気持ち的に引きこもっていた。悪い意味ではなくて、精神の安定を得られる他人との付き合い方がわかった感じ。知人も友人もそんなにはいらないし、年寄りの話は遮る。手も払う。Facebookは更新しない。ひとを見たら好きか嫌いか心の中で呟く。「こいつきらい」「このひとすき」最初に確認しておけば、善意を発揮しなければ、と無理をしそうになることもない。
ひとから悪い影響を受けることを拒絶していた。
つまり一人で生きるのが巧くなった。

そのせいか、練習も捗っている。
去年、何度か「あ、上手くなったな」と思うタイミングがあった。リズムの取り方、音色の変え方、視覚的に音を確認する方法。練習の質について未だ改善する余地はあるし、曲作りに関しては全然出来なかったけれど、それを差し引いても充実していたな、と思う。
近い目標も、一緒に演奏するライバルもいないのに、ちゃんと毎日弾けたのは、毎月死なない程度にお金があったからだ。今年は継続的にアルバイトをしていた。決まった時間決まった曜日に決まった仕事をする、というのは精神的にもいい影響があった。嫌なことがあったり作ることができなくて鬱々としてしまっても、リセットされる。
頭ではわかっていたことだが、ピアノを弾いたり小説を書いたりする上で、生活というのは本当に大事だ。適度に食べて適度に運動をして適度に睡眠を取る。あと、適度に気晴らしをする。その適度というのが難しいのだが、食事と睡眠に関してはどうしたらいいかというのが結構わかってきた。ご飯作るのも上手になった。玄米を土鍋で炊く。
月4万程度、という細々とした基盤だけれど、生活が安定した。そうすると精神も安定した。お金の力が偉大すぎて……つらい。時給1500円にならないかな。本気です。

でも、生活と精神を安定させるまでに何回か再起動みたいな、いきなりフリーズして寝込む、みたいなことも何度かやってしまった。やっとそれも少なくなったが。たまに、いきなり死んでいる。ああ…。
春のM3、申し込んで当選していたのに、ふっと落ちてしまって、行けなくなってしまった。本当ごめんなさい。スペースは有限なのに。もし楽しみにしてくれた方がいたら、それもごめんなさい。今年はそんなことにはならない…ようにします。当選するかもまだわからないのだけれど。

今年はいっぱいいっぱい作ります。曲にしろ小説にしろデザインにしろ。
練習の積み上げの分、いいものが出来るんじゃないのかな。
その為に練習ってあるんだろう。
報われたい。報われた分、頑張れると思うから。

うん。

皆様におかれましても、今年がいい年でありますように。





2017/01/04 12:12 | 雑記  TOP

紅葉がきれいだったので

家の紅葉が色付いてきた。
春先あかくなって、秋にあかくなるわけじゃないのかー、と思ってたのだけど、秋もあかくなってる。
庭に植物がいろいろ植えてあるのに、なにがなんだか全然わかってない。4年も住んでるのに。

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2016/11/24 21:50 | 雑記  TOP

応援するというのなら、図書カードが欲しい

もう、言いたいことなんてタイトルの通りでしかないのだけれど。

「ピアノで食っていきたい」、ということを、何年か前から口にしてきた。
そうするのが自分にとって一番いいことだろう、という予感があるからだ。
「ピアノで食う」。
一口に言ってみても、その方法は多岐にわたる。
ライブをする。CDを販売する。教える。ひとの伴奏をする。歌詞に曲をつける。ラウンジでBGMを弾く。ポップスのピアノ編曲をする。
ぱっと思いつくところで、こんなところ。でも、いまいちどの方法でやっていったらいいのかは、わかっていない。とりあえず、作品を作っていかなくてはという気では、いるんだけど。

「ピアノで食っていきたい」、というと、じゃあライブをしてファンを獲得して有名に、という、いわゆるアーティストのコースを想像されることが多い。ミュージシャン志望、的な。成り上がりのストーリーとして語られる、わかりやすい像。
「アンジェラ・アキみたいになってよ!」とかね(笑)。
それを期待されることになんとなく違和感はあるけれど、ライブがしたくないというわけじゃないから、否定はしきれずにいた。

「頑張って」、と言われたりする。これこれこういうところでライブをやったら良いんじゃないか、という話をされることもある。それで、「ピアノが置いてあるところがあるから、行こう」ということになったりする。大抵、おじさんだ。

ごはんを奢ってくれたり、知り合いの店に連れて行かれたりする。音楽関係の店のひとに紹介をして、「あとは自分で頑張ってね」という顔をする。ここまでしてやったんだから後は自分で売り込みをしろ、店でのライブやなんかを自分で取り付けろということだ。なるほど。
でも、そういうひとに限って、おれがどういうことをやろうとしているのか、志について、音楽の方向性について、ということは気にしていない。ライブを企画して宣伝集客をしてくれるわけでもない。なのにざっくりと店を紹介しただけで何かしてあげたぜ、という顔をしている。

まあおれだってお金がないから楽しそうに奢られたりはしてあげたりするけれど、他人の金で食う飯って、あんまりうまくない。
店を選べないし、煙草吸われるし、面白くもない話に付き合わなくちゃあならない。たまの気晴らしになることはあるけれど、その食事にいくらお金がかかっているかは関係なく、「一人で食べてたほうがましだな」と思う。(いや、行きたいけど高くて行けない店に連れて行ってもらえたら、そりゃあ嬉しいのだけれど)
「話を聞いてあげるだけでとんとんなのに、どうしてまずい飯(貧乏だが貧乏舌ではない)を食わされなけりゃならんのだ」という話をひとにしたら、「奢られる才能がない」と言われた。全くもってその通りだと思う。

でも、たかが食事や酒(しかも大したことがない)に五千円一万円使われるのって、とても気持ちが悪い。おれの今の生活費は月に4万円程度で、そこでの一万円は重たい額だ。勿論ひとによってお金の価値は違うし、ひとの財布に文句をつけるつもりはないが、おれに使われる金、というなら話は別だ。
自分のために大金がゴミのように使われるのは気分が悪い。
楽しい時間を過ごすための必要経費というなら、その辺のカフェで500円のお茶をすすりながらお話すればいい。酒が飲みたいのならワンカップ買って公園であければいい。


ねえ、おれのためにお金使ってくれるなら、そのお金、おれにくれないかしら。


さもしいと思われるかもしれないけれど、それが本心だ。
誰の本で読んだか忘れたけれど(ビートたけしか立川談志だったと思う)、昔のパトロンのようなひとは、未だ売れてない芸人を集めて食事を奢る時、必ずお金を包んでいたそうだ。奢るだけの金がない時は、食事の方をやめて、お金だけ渡す。粋だ。
売れていない、お金のない人間にとって、そうしてくれるのがどれだけ有り難いことか。

実は、そうしてくれるひともいる。たまに。
「頑張ってね」、と言ってお金を手渡してくれるこひと。大事なお金だろうに、他のことに使うことも出来ただろうに、おれの気持ちに共鳴して、預けてくれる。
その節は本当に有難うございました。助かりました。

現金が駄目だというのなら、本を買って欲しい。読むだけなら図書館でも出来るけれど、音楽の専門書は自分の家の本棚に差して、何度も読み返したい。音楽の勉強することは、おれがどういう稼ぎ方をすることになっても、必要不可欠だからだ。
音楽のことで個人的に呼び出された時、「新幹線代は要らないから、鈍行で帰るから、本を買って欲しい」と言ったことがあった。頑なに拒否された。
なるほど、店を連れ回したりして応援してやると言っていたのは嘘で、単に「ミュージシャン志望の子を引き連れる自分」に酔っているだけなのだな、と気が付いた。
非常に虚しい。



だから。
おれを「応援してやる」、というつもりでお金を使うのなら、若い子に相手をしてもらいたいだけじゃないのなら、おれに本を買って欲しい。
もう、大枚はたいて奢られても、楽しいと思えないんだ。そういうのは虚しいだけだ。
買った本のタイトルと一緒に、ずっと記憶に残しておくので。
よろしくお願いします。ほんとに。


って、今度からは、言う。


欲しいものリスト





2016/11/13 22:13 | 雑記  TOP