明けましてお目出度うございます

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遅ればせましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


なんだか今年はいいことありそうな気がする。

去年は、もうほんとに気持ち的に引きこもっていた。悪い意味ではなくて、精神の安定を得られる他人との付き合い方がわかった感じ。知人も友人もそんなにはいらないし、年寄りの話は遮る。手も払う。Facebookは更新しない。ひとを見たら好きか嫌いか心の中で呟く。「こいつきらい」「このひとすき」最初に確認しておけば、善意を発揮しなければ、と無理をしそうになることもない。
ひとから悪い影響を受けることを拒絶していた。
つまり一人で生きるのが巧くなった。

そのせいか、練習も捗っている。
去年、何度か「あ、上手くなったな」と思うタイミングがあった。リズムの取り方、音色の変え方、視覚的に音を確認する方法。練習の質について未だ改善する余地はあるし、曲作りに関しては全然出来なかったけれど、それを差し引いても充実していたな、と思う。
近い目標も、一緒に演奏するライバルもいないのに、ちゃんと毎日弾けたのは、毎月死なない程度にお金があったからだ。今年は継続的にアルバイトをしていた。決まった時間決まった曜日に決まった仕事をする、というのは精神的にもいい影響があった。嫌なことがあったり作ることができなくて鬱々としてしまっても、リセットされる。
頭ではわかっていたことだが、ピアノを弾いたり小説を書いたりする上で、生活というのは本当に大事だ。適度に食べて適度に運動をして適度に睡眠を取る。あと、適度に気晴らしをする。その適度というのが難しいのだが、食事と睡眠に関してはどうしたらいいかというのが結構わかってきた。ご飯作るのも上手になった。玄米を土鍋で炊く。
月4万程度、という細々とした基盤だけれど、生活が安定した。そうすると精神も安定した。お金の力が偉大すぎて……つらい。時給1500円にならないかな。本気です。

でも、生活と精神を安定させるまでに何回か再起動みたいな、いきなりフリーズして寝込む、みたいなことも何度かやってしまった。やっとそれも少なくなったが。たまに、いきなり死んでいる。ああ…。
春のM3、申し込んで当選していたのに、ふっと落ちてしまって、行けなくなってしまった。本当ごめんなさい。スペースは有限なのに。もし楽しみにしてくれた方がいたら、それもごめんなさい。今年はそんなことにはならない…ようにします。当選するかもまだわからないのだけれど。

今年はいっぱいいっぱい作ります。曲にしろ小説にしろデザインにしろ。
練習の積み上げの分、いいものが出来るんじゃないのかな。
その為に練習ってあるんだろう。
報われたい。報われた分、頑張れると思うから。

うん。

皆様におかれましても、今年がいい年でありますように。





2017/01/04 12:12 | 雑記  TOP

紅葉がきれいだったので

家の紅葉が色付いてきた。
春先あかくなって、秋にあかくなるわけじゃないのかー、と思ってたのだけど、秋もあかくなってる。
庭に植物がいろいろ植えてあるのに、なにがなんだか全然わかってない。4年も住んでるのに。

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2016/11/24 21:50 | 雑記  TOP

応援するというのなら、図書カードが欲しい

もう、言いたいことなんてタイトルの通りでしかないのだけれど。

「ピアノで食っていきたい」、ということを、何年か前から口にしてきた。
そうするのが自分にとって一番いいことだろう、という予感があるからだ。
「ピアノで食う」。
一口に言ってみても、その方法は多岐にわたる。
ライブをする。CDを販売する。教える。ひとの伴奏をする。歌詞に曲をつける。ラウンジでBGMを弾く。ポップスのピアノ編曲をする。
ぱっと思いつくところで、こんなところ。でも、いまいちどの方法でやっていったらいいのかは、わかっていない。とりあえず、作品を作っていかなくてはという気では、いるんだけど。

「ピアノで食っていきたい」、というと、じゃあライブをしてファンを獲得して有名に、という、いわゆるアーティストのコースを想像されることが多い。ミュージシャン志望、的な。成り上がりのストーリーとして語られる、わかりやすい像。
「アンジェラ・アキみたいになってよ!」とかね(笑)。
それを期待されることになんとなく違和感はあるけれど、ライブがしたくないというわけじゃないから、否定はしきれずにいた。

「頑張って」、と言われたりする。これこれこういうところでライブをやったら良いんじゃないか、という話をされることもある。それで、「ピアノが置いてあるところがあるから、行こう」ということになったりする。大抵、おじさんだ。

ごはんを奢ってくれたり、知り合いの店に連れて行かれたりする。音楽関係の店のひとに紹介をして、「あとは自分で頑張ってね」という顔をする。ここまでしてやったんだから後は自分で売り込みをしろ、店でのライブやなんかを自分で取り付けろということだ。なるほど。
でも、そういうひとに限って、おれがどういうことをやろうとしているのか、志について、音楽の方向性について、ということは気にしていない。ライブを企画して宣伝集客をしてくれるわけでもない。なのにざっくりと店を紹介しただけで何かしてあげたぜ、という顔をしている。

まあおれだってお金がないから楽しそうに奢られたりはしてあげたりするけれど、他人の金で食う飯って、あんまりうまくない。
店を選べないし、煙草吸われるし、面白くもない話に付き合わなくちゃあならない。たまの気晴らしになることはあるけれど、その食事にいくらお金がかかっているかは関係なく、「一人で食べてたほうがましだな」と思う。(いや、行きたいけど高くて行けない店に連れて行ってもらえたら、そりゃあ嬉しいのだけれど)
「話を聞いてあげるだけでとんとんなのに、どうしてまずい飯(貧乏だが貧乏舌ではない)を食わされなけりゃならんのだ」という話をひとにしたら、「奢られる才能がない」と言われた。全くもってその通りだと思う。

でも、たかが食事や酒(しかも大したことがない)に五千円一万円使われるのって、とても気持ちが悪い。おれの今の生活費は月に4万円程度で、そこでの一万円は重たい額だ。勿論ひとによってお金の価値は違うし、ひとの財布に文句をつけるつもりはないが、おれに使われる金、というなら話は別だ。
自分のために大金がゴミのように使われるのは気分が悪い。
楽しい時間を過ごすための必要経費というなら、その辺のカフェで500円のお茶をすすりながらお話すればいい。酒が飲みたいのならワンカップ買って公園であければいい。


ねえ、おれのためにお金使ってくれるなら、そのお金、おれにくれないかしら。


さもしいと思われるかもしれないけれど、それが本心だ。
誰の本で読んだか忘れたけれど(ビートたけしか立川談志だったと思う)、昔のパトロンのようなひとは、未だ売れてない芸人を集めて食事を奢る時、必ずお金を包んでいたそうだ。奢るだけの金がない時は、食事の方をやめて、お金だけ渡す。粋だ。
売れていない、お金のない人間にとって、そうしてくれるのがどれだけ有り難いことか。

実は、そうしてくれるひともいる。たまに。
「頑張ってね」、と言ってお金を手渡してくれるこひと。大事なお金だろうに、他のことに使うことも出来ただろうに、おれの気持ちに共鳴して、預けてくれる。
その節は本当に有難うございました。助かりました。

現金が駄目だというのなら、本を買って欲しい。読むだけなら図書館でも出来るけれど、音楽の専門書は自分の家の本棚に差して、何度も読み返したい。音楽の勉強することは、おれがどういう稼ぎ方をすることになっても、必要不可欠だからだ。
音楽のことで個人的に呼び出された時、「新幹線代は要らないから、鈍行で帰るから、本を買って欲しい」と言ったことがあった。頑なに拒否された。
なるほど、店を連れ回したりして応援してやると言っていたのは嘘で、単に「ミュージシャン志望の子を引き連れる自分」に酔っているだけなのだな、と気が付いた。
非常に虚しい。



だから。
おれを「応援してやる」、というつもりでお金を使うのなら、若い子に相手をしてもらいたいだけじゃないのなら、おれに本を買って欲しい。
もう、大枚はたいて奢られても、楽しいと思えないんだ。そういうのは虚しいだけだ。
買った本のタイトルと一緒に、ずっと記憶に残しておくので。
よろしくお願いします。ほんとに。


って、今度からは、言う。


欲しいものリスト





2016/11/13 22:13 | 雑記  TOP

ねこが欲しい

ねこといっても、動物の猫ではなく。

これです。

なぎそ ねこ


11月になり、すっかり寒くなってしまったけれど、うちには暖房というものがほとんどない。ピアノを入れた時に部屋にエアコンを付けたが全然使っていないし、こたつもリサイクルショップで買ったが電磁波過敏症のため使えず(豆炭こたつが欲しいのだがどっかにないかな)、頼みの綱は湯たんぽである。あとは白湯。身体の中から温まると快適である。布団から腕を出すのが辛くなるので、風呂にいる間に長電話をする。「また風呂入ってるの?」と電話の相手に言われる。

まあ、家の中でそんな寒さとなると、外同様にもっこもこに着込まなくてはいけないのだが、ニットとかダウンとかで着膨れながら生活するのだが、それで何が困るって、ピアノが弾きづらい。
腕、阻害されてる。明らかに。
もっこもっこ。
これでは弾けるものも弾けない。


気温が低かろうと、弾いてるうちに身体が温まってはくるのだが、とはいえ、ダウンを脱いでしまうと心もとないし、なんか良いもんないかなー、と思っていたんです。
で、確かなんかテレビ見てた時に、見つけたのよね。
ねこ。つまり、袖なし半纏。
工芸品なんかを作る時に、袖が邪魔だから、こうなったそうで。


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これはいいものだ。


うん。


というわけで、買おうか作ろうかどうしようか。


南木曽ねこ風?ねこ半天の作り方♪

家庭科の授業以来、裁縫はほとんどしていないけど、自分で作れるかしら。
裁縫の得意そうなひとに相談してみることにしよっと。





2016/11/03 20:32 | 雑記  TOP

非公開練習

最近音沙汰ないけれど、練習はしている。
上手くなったと思う。今、弾くのがとても楽しい。

ようやく、本当にようやく、精神の作り方を覚えた。
島へ引っ越してきた当初、大学生活からの田舎一人暮らし、というのはギャップが激しすぎて、おれは何をどうしていいのかわかっていなかった。そもそも人生の中で学生ではない、という時期は物心ついてから存在しなかったわけで、今考えると、一人暮らしこそ多少嗜んでいたものの、自立、自活の仕方が全くわかっていなかった。
人間関係の拠り所も、うまく探し当てられなくて。ほぼ同い年の人間を相手に、本の話、サブカルの話、講義の話、あるいは恋愛やものの考え方を軸に人間関係を構築してきていたので、大きく世代が開いていたり、あるいは文化的な距離が開いていたりすると、うまく打ち解けられない。相手と会話はしているはずなのに、大事なことを言い落している気分がずっとあった。


いろんなことがわからなすぎて、精神状態を持ち崩していた。孤独をつのらせた。家から一歩も出ない日がたくさんあった。

運動不足になっていた。都会に住んでいる間は、自宅から駅までの距離、駅構内の階段、到着駅から大学までの距離…と、一日に必須の運動量が結構あったのだが、こっちに引っ越してからは移動手段は原付で、つまり家を出てから一歩も歩かずとも目的地まで着けてしまう。
外出るくらいならピアノを弾くべき、とか思ってたけど、運動不足だと頭も回らない。一人きりだとそのことにも気付く機会がない。

運動しない、金がない、喋る相手がいない。
というのは、(おれの)鬱の三大要因だったんだろう。

今は体力を使うアルバイトをしている。筋肉がついているとなんだか元気だし、日光を浴びるとなんだっけ、セロトニンだっけ?あまりずどーんと精神が落ちたりしないし、よく眠れるようになった…気がする。疲れて寝足りなかったりもするけど。
お金もささやかだけど、ある。お金がなくて払うものも払えなくて死にそう、という事態にはなっていない。今のところ。
喋る相手は、まあそんなに多くはいないけど、遠くの友人と長電話をしたりしている。ネットで知らない人と喋ったりすることもある。でも、一番効いたのは、日記を書くことだ。フリーソフトをインストールして、何日かに一回、気が向いた時にタイピングで書きつける。他人に吐ける愚痴の量には限りがあるけれど、自分相手なら際限なく喋っていられる。会話のようなことをすることもある。自分に自分の話を聞いてもらうと、案外すっきりする。考えもまとまる。

つまり、鬱に対する対策がわかって、講じて、うまくいった。気持ちが沈んで頭がぼやーとしている、という状態から脱した。いえーい。


しばらく実家にいたお陰で、家事の回し方もわかるようになったし、今、「生活」がうまくいってるなー、という実感がある。
生活の中の、ピアノ。
アルバイトがある日でも一日に3時間位は弾くようにしている。


うん。やっと今、一人でも、楽しい。
一人で、古い家で暮らすの、楽しい。


他の作ること…お菓子作りとか、小説とかも、並行してやっている。色々やることで調子が良くなってくタイプなんだよな。
そろそろ人と積極的に関わることもできそうな感じ。不義理を働いている方々にそろそろご挨拶できたら…って、ずっと言ってますけど。ごめんなさいね。

多分、そろそろ、大丈夫です。





2016/10/18 22:30 | 雑記  TOP