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応援するというのなら、図書カードが欲しい

もう、言いたいことなんてタイトルの通りでしかないのだけれど。

「ピアノで食っていきたい」、ということを、何年か前から口にしてきた。
そうするのが自分にとって一番いいことだろう、という予感があるからだ。
「ピアノで食う」。
一口に言ってみても、その方法は多岐にわたる。
ライブをする。CDを販売する。教える。ひとの伴奏をする。歌詞に曲をつける。ラウンジでBGMを弾く。ポップスのピアノ編曲をする。
ぱっと思いつくところで、こんなところ。でも、いまいちどの方法でやっていったらいいのかは、わかっていない。とりあえず、作品を作っていかなくてはという気では、いるんだけど。

「ピアノで食っていきたい」、というと、じゃあライブをしてファンを獲得して有名に、という、いわゆるアーティストのコースを想像されることが多い。ミュージシャン志望、的な。成り上がりのストーリーとして語られる、わかりやすい像。
「アンジェラ・アキみたいになってよ!」とかね(笑)。
それを期待されることになんとなく違和感はあるけれど、ライブがしたくないというわけじゃないから、否定はしきれずにいた。

「頑張って」、と言われたりする。これこれこういうところでライブをやったら良いんじゃないか、という話をされることもある。それで、「ピアノが置いてあるところがあるから、行こう」ということになったりする。大抵、おじさんだ。

ごはんを奢ってくれたり、知り合いの店に連れて行かれたりする。音楽関係の店のひとに紹介をして、「あとは自分で頑張ってね」という顔をする。ここまでしてやったんだから後は自分で売り込みをしろ、店でのライブやなんかを自分で取り付けろということだ。なるほど。
でも、そういうひとに限って、おれがどういうことをやろうとしているのか、志について、音楽の方向性について、ということは気にしていない。ライブを企画して宣伝集客をしてくれるわけでもない。なのにざっくりと店を紹介しただけで何かしてあげたぜ、という顔をしている。

まあおれだってお金がないから楽しそうに奢られたりはしてあげたりするけれど、他人の金で食う飯って、あんまりうまくない。
店を選べないし、煙草吸われるし、面白くもない話に付き合わなくちゃあならない。たまの気晴らしになることはあるけれど、その食事にいくらお金がかかっているかは関係なく、「一人で食べてたほうがましだな」と思う。(いや、行きたいけど高くて行けない店に連れて行ってもらえたら、そりゃあ嬉しいのだけれど)
「話を聞いてあげるだけでとんとんなのに、どうしてまずい飯(貧乏だが貧乏舌ではない)を食わされなけりゃならんのだ」という話をひとにしたら、「奢られる才能がない」と言われた。全くもってその通りだと思う。

でも、たかが食事や酒(しかも大したことがない)に五千円一万円使われるのって、とても気持ちが悪い。おれの今の生活費は月に4万円程度で、そこでの一万円は重たい額だ。勿論ひとによってお金の価値は違うし、ひとの財布に文句をつけるつもりはないが、おれに使われる金、というなら話は別だ。
自分のために大金がゴミのように使われるのは気分が悪い。
楽しい時間を過ごすための必要経費というなら、その辺のカフェで500円のお茶をすすりながらお話すればいい。酒が飲みたいのならワンカップ買って公園であければいい。


ねえ、おれのためにお金使ってくれるなら、そのお金、おれにくれないかしら。


さもしいと思われるかもしれないけれど、それが本心だ。
誰の本で読んだか忘れたけれど(ビートたけしか立川談志だったと思う)、昔のパトロンのようなひとは、未だ売れてない芸人を集めて食事を奢る時、必ずお金を包んでいたそうだ。奢るだけの金がない時は、食事の方をやめて、お金だけ渡す。粋だ。
売れていない、お金のない人間にとって、そうしてくれるのがどれだけ有り難いことか。

実は、そうしてくれるひともいる。たまに。
「頑張ってね」、と言ってお金を手渡してくれるこひと。大事なお金だろうに、他のことに使うことも出来ただろうに、おれの気持ちに共鳴して、預けてくれる。
その節は本当に有難うございました。助かりました。

現金が駄目だというのなら、本を買って欲しい。読むだけなら図書館でも出来るけれど、音楽の専門書は自分の家の本棚に差して、何度も読み返したい。音楽の勉強することは、おれがどういう稼ぎ方をすることになっても、必要不可欠だからだ。
音楽のことで個人的に呼び出された時、「新幹線代は要らないから、鈍行で帰るから、本を買って欲しい」と言ったことがあった。頑なに拒否された。
なるほど、店を連れ回したりして応援してやると言っていたのは嘘で、単に「ミュージシャン志望の子を引き連れる自分」に酔っているだけなのだな、と気が付いた。
非常に虚しい。



だから。
おれを「応援してやる」、というつもりでお金を使うのなら、若い子に相手をしてもらいたいだけじゃないのなら、おれに本を買って欲しい。
もう、大枚はたいて奢られても、楽しいと思えないんだ。そういうのは虚しいだけだ。
買った本のタイトルと一緒に、ずっと記憶に残しておくので。
よろしくお願いします。ほんとに。


って、今度からは、言う。


欲しいものリスト





2016/11/13 22:13 | 雑記  TOP

ねこが欲しい

ねこといっても、動物の猫ではなく。

これです。

なぎそ ねこ


11月になり、すっかり寒くなってしまったけれど、うちには暖房というものがほとんどない。ピアノを入れた時に部屋にエアコンを付けたが全然使っていないし、こたつもリサイクルショップで買ったが電磁波過敏症のため使えず(豆炭こたつが欲しいのだがどっかにないかな)、頼みの綱は湯たんぽである。あとは白湯。身体の中から温まると快適である。布団から腕を出すのが辛くなるので、風呂にいる間に長電話をする。「また風呂入ってるの?」と電話の相手に言われる。

まあ、家の中でそんな寒さとなると、外同様にもっこもこに着込まなくてはいけないのだが、ニットとかダウンとかで着膨れながら生活するのだが、それで何が困るって、ピアノが弾きづらい。
腕、阻害されてる。明らかに。
もっこもっこ。
これでは弾けるものも弾けない。


気温が低かろうと、弾いてるうちに身体が温まってはくるのだが、とはいえ、ダウンを脱いでしまうと心もとないし、なんか良いもんないかなー、と思っていたんです。
で、確かなんかテレビ見てた時に、見つけたのよね。
ねこ。つまり、袖なし半纏。
工芸品なんかを作る時に、袖が邪魔だから、こうなったそうで。


neko.jpg



これはいいものだ。


うん。


というわけで、買おうか作ろうかどうしようか。


南木曽ねこ風?ねこ半天の作り方♪

家庭科の授業以来、裁縫はほとんどしていないけど、自分で作れるかしら。
裁縫の得意そうなひとに相談してみることにしよっと。





2016/11/03 20:32 | 雑記  TOP

非公開練習

最近音沙汰ないけれど、練習はしている。
上手くなったと思う。今、弾くのがとても楽しい。

ようやく、本当にようやく、精神の作り方を覚えた。
島へ引っ越してきた当初、大学生活からの田舎一人暮らし、というのはギャップが激しすぎて、おれは何をどうしていいのかわかっていなかった。そもそも人生の中で学生ではない、という時期は物心ついてから存在しなかったわけで、今考えると、一人暮らしこそ多少嗜んでいたものの、自立、自活の仕方が全くわかっていなかった。
人間関係の拠り所も、うまく探し当てられなくて。ほぼ同い年の人間を相手に、本の話、サブカルの話、講義の話、あるいは恋愛やものの考え方を軸に人間関係を構築してきていたので、大きく世代が開いていたり、あるいは文化的な距離が開いていたりすると、うまく打ち解けられない。相手と会話はしているはずなのに、大事なことを言い落している気分がずっとあった。


いろんなことがわからなすぎて、精神状態を持ち崩していた。孤独をつのらせた。家から一歩も出ない日がたくさんあった。

運動不足になっていた。都会に住んでいる間は、自宅から駅までの距離、駅構内の階段、到着駅から大学までの距離…と、一日に必須の運動量が結構あったのだが、こっちに引っ越してからは移動手段は原付で、つまり家を出てから一歩も歩かずとも目的地まで着けてしまう。
外出るくらいならピアノを弾くべき、とか思ってたけど、運動不足だと頭も回らない。一人きりだとそのことにも気付く機会がない。

運動しない、金がない、喋る相手がいない。
というのは、(おれの)鬱の三大要因だったんだろう。

今は体力を使うアルバイトをしている。筋肉がついているとなんだか元気だし、日光を浴びるとなんだっけ、セロトニンだっけ?あまりずどーんと精神が落ちたりしないし、よく眠れるようになった…気がする。疲れて寝足りなかったりもするけど。
お金もささやかだけど、ある。お金がなくて払うものも払えなくて死にそう、という事態にはなっていない。今のところ。
喋る相手は、まあそんなに多くはいないけど、遠くの友人と長電話をしたりしている。ネットで知らない人と喋ったりすることもある。でも、一番効いたのは、日記を書くことだ。フリーソフトをインストールして、何日かに一回、気が向いた時にタイピングで書きつける。他人に吐ける愚痴の量には限りがあるけれど、自分相手なら際限なく喋っていられる。会話のようなことをすることもある。自分に自分の話を聞いてもらうと、案外すっきりする。考えもまとまる。

つまり、鬱に対する対策がわかって、講じて、うまくいった。気持ちが沈んで頭がぼやーとしている、という状態から脱した。いえーい。


しばらく実家にいたお陰で、家事の回し方もわかるようになったし、今、「生活」がうまくいってるなー、という実感がある。
生活の中の、ピアノ。
アルバイトがある日でも一日に3時間位は弾くようにしている。


うん。やっと今、一人でも、楽しい。
一人で、古い家で暮らすの、楽しい。


他の作ること…お菓子作りとか、小説とかも、並行してやっている。色々やることで調子が良くなってくタイプなんだよな。
そろそろ人と積極的に関わることもできそうな感じ。不義理を働いている方々にそろそろご挨拶できたら…って、ずっと言ってますけど。ごめんなさいね。

多分、そろそろ、大丈夫です。





2016/10/18 22:30 | 雑記  TOP

逃げていいよ

逃げてもいいよ。
逃げておいでよ。



電通の例の件で、おれは酷く憤っている。無論世間の人々の大半もそうだろうが、おれは彼女が自分の後輩くらいの年齢であることだとか、彼女のツイッターでの愚痴が知人友人たちのものと似通っていたことで、通常以上のシンパシーを感じてしまっている。

おれも、そういう、ブラックな労働に巻き込まれたことがある。
大学1年の頃、飲食店でアルバイトを始めた。アルバイト、というものに憧れていた。なんだか、楽しそうで。でも働いた経験がなかったおれは、あまり要領よく仕事がこなせなかった。
仕事が終わらなかったら、先にタイムカードを切られた。人格を否定するようなことを言われた。
新しく入ってきた子は、仕事ができないからという理由で先輩に蹴られた。すぐにいなくなった。

そういう職場で、2年弱。一回限界が来て、無断欠勤をした。家で起き上がれなくなった。連絡を取ることすら無理だった。
職場に謝りに行ったら、「普通は辞めさせられる。続けさせてもらえることをありがたく思いなさい」と言われた。その時は、「仕事ができない自分が悪いのだ」と思っていた。それまで家庭でも学校でも、似たような世界観だったからだ。

大学3年に上がる前、キャンパスが変わって職場の駅を使うことがなくなるので、辞めることにした。それを上司に伝えると、今までご苦労様でもお疲れ様でもなく、「あっそ」、みたいな、そういう、お前のことなどどうでもいいみたいな反応だった。

涙がぼろぼろ溢れた。悲しくて仕方がなかった。今も、思い出したら泣いてしまった。そういう風に、おれは自尊心をずたずたにされている。当たり前だが、もうあんな経験はしたくないし、そういう場所に身を投じるつもりはない。おれはおれのことがちゃんと可愛い。
余談だけれど、今はその職場はもう存在しない。テナントが入っていた駅ビルごとなくなってしまっている。
そんなものだよな、と思う。

その次のバイト先は、人間的な扱いをしてもらえた。おじちゃんおばちゃんばっかりで、まあそんなに話すこともなかったように思うけど、余ったお弁当を貰ったり、遅刻をしても「まあ人間だしたまにはそういうこともあるさ」という感じで、良くしてもらったように思う。もう6年も昔のことで、しかもそのバイト先もこの前覗いたら駅ビルのフロアが丸々変わっていて跡形もなかった。都会の移り変わりは激しい。



おれは一度もいわゆる就職というものをしたことがない。
就職しないことを選んだのはいろいろな理由があるけれど、バイト先で「働くなんてろくでもないし自分をすり減らすだけ(なので労働時間はなるべく短いほうがいい)」ということを学んだことも理由の一つにあると思う。長くいればいるほど、思想を強制される。会社の利益や仕事仲間との人間関係を考えなくちゃいけなくなる。でも、それは自分にとって非常にどうでもいいことだし、そこまで求められて精々1000円程度の時給なのは、全く割に合っていない。
いや、例えお金が沢山もらえたとしても、割になんて合わない。
働き詰めになって会社に尽くして四六時中仕事仕事仕事、そうなったら自分は自分でいられなくなる。真っ当な感覚が麻痺して、五感も麻痺して、思考が塗り替えられる。自分じゃない人間が手にする対価に一体どれだけの価値があるというのか。まあ普通にゼロだ。他人の手の内なんだから。

つまり、働けば働くほど損。
いわゆる、「働いたら負け」というやつである。


働かなければ働かなかっただけ、自分でいられる。であるなら、働かないほうが得である。


おれは今幸いなことに、人間としての尊厳を踏みにじられたり、理不尽なことを要求される職場で働いていない。あくびが出るほどのどかに平和に働いている。それは田舎にいるからといえば半分くらいはそうだろうな、と思う。無闇に際限なく利益を求めるような職場というのはあまりなさそうだ。勿論田舎の中でもいろいろな勤め先があるから、一概にどうとは言えないが。あとはおれに求人情報を判定する能力がついたからハズレを引かずに済んでいる、というのもあるだろう。今までいろいろな求人に応募してきたが、求人情報の書き方や面接の時の態度、バックヤードの雰囲気で、そこで一日も働かずとも従業員が病まずに働けているか、自分が入っていけそうか、というのはわかる。こりゃ駄目だな、と思った時点で断ればいい。向こうだって人を選んでいるのだから、こっちが選ぶのも当然のことだ。
選んでも、働き先がなくなったりはしない。とりあえず、今のところは。

だからね。


死にそうになったら、田舎に越して、やっすい家賃で、月4万円くらい稼いで生きていくこともできますよ、っていう話です。
人間、生きていくだけならそんなに難しくないはずなんです。そんな、毎日頑張って稼いだ16万が一月で消えるって、ちょっとおかしい。家賃が高すぎる。あるいは外食費?交遊費?
4万円で足りないっていうなら6万円、9万円。「そんなんじゃ生きてけない!」って言うかもしれないけど、いやお前、死ぬよりいいだろ。
少なくともおれは、島に越して、人間らしい暮らしが出来るようになった。


勿論、真っ当に働けるなら働いたらいい。仕事っていうのは本来ひとを喜ばせるものだし、ひとを喜ばせれば自尊心が満たされる。対価としてお金も得られる。良いことばかりである。ただ、それが今の日本では歪になってしまっているところが多いというだけで。
おれも、ちゃんと、自分の仕事をしたい。その為に準備をしているところ。



死んでくれるな。
死ぬ前に、とりあえず、住めとは言わないから、遊びに来い。
ケータイの電源切って、海を見て、うまいもん食べて、静かなところで寝ろ。
君は、人間だ。
そんなどうでもいい会社とか社員に、傷付けられていいわけがないんだ。
一緒に逃げよう。
一緒に生きよう。





2016/10/16 18:37 | 雑記  TOP

生き延びなければならない

最近は、少し、元気。

選挙の様子を見て、陰鬱な気分になる。
恐らく、また、生き辛さは加速する。私にとって、若者にとって。あるいは、土地に、海に生きようと思う人間にとって。
仕方がないこととは思わない。
「日本死ね」と毒づくこともできない。
ただ悲しさばかりがつのる。
それでも、自分にできることを考える。

生存戦略、しましょうか。


原発がなくてもお金がなくても、生きてけるって。
ねえ、経済成長なんて、もう無理だよ。過去の幻影を見たって仕方がないんだ。そりゃあお金はあれば便利だけれど、それは健康や生命を犠牲にして手に入れるようなものではない。お金って、何かの役に立って、誰かの役に立って、その対価にいただくものだ。誰かを不幸にして、ずるをして、ひとの弱みに付け込んで、奪い取るようなものではない。


きれいごとだって思うだろうか。
でも、それを「きれいごとだ」って言って実際ではないと思い込んでいると、いつか国の偉い人が「戦争をしよう」と言った時に、「まあきれいごと言ってらんないしな」と納得する羽目になってしまう。経済的な困窮と戦争は地続きだ。
それはどう考えても駄目だ、って正常な判断力があるうちならわかる。
だからおれはきれいごとを言い続けなければならない。


別に電気なんてそんなたくさん使えなくたっていいじゃん。ひとや土地が死ぬくらいなら。電気代が上がったっていいじゃん。
近くに原発を作ろうという話がある。上関原発。
地域にお金がばら撒かれている、なんてことも聞くけれど、近くの祝島に住む人たちが、必死に反対してくれている。原発が出来たら、事故が起こらなかったとしても島の漁業が死ぬからだ。温排水によって、自然生態系が変わってしまう。そうでなくとも埋め立てによって多くの資源が失われる。
一度、祝島へ行った時に、「上関原発反対!」とでかでかと書かれた看板に迎えられて、ぎょっとした。そういう烈しい言葉に出くわす機会がなかったから。でも、今になって、あれはやらなくちゃならないことだったんだな、と思える。断固とした態度を取らなければ、お金が欲しいだけのよくわからない怪物に食われてしまうから。


蝉が鳴いている。
うちは古い家なので、よく響く。


お金が欲しいと思う。でもそんなになくていい。
月に6万円と、奨学金が返せる額があれば、十分に暮らしていける。
それでも日々の暮らしは楽しい。ストレスにまみれた生活を送って、稼いだお金で憂さ晴らしをしなければならない、という状態ではないから。

ご飯は自分で作る。近所で採れた野菜を買ってくる。たまに、作ったものを売ってみる。スコーンがすきなので極めたい。
ピアノを練習する。余った時間は文章を書いたり本を読んだり漫画を描いたりする。お金はさしてかからない。お金があれば、本を買ったり、カフェに行ったり、外に遊びに出かける。
服は古着屋で買うことが多くなった。一着300円くらいで、面白いものが買える。夏場はアロハシャツばかり着ている。ゆくゆくは自分で作れるようになってもいいのかもしれない。
食べるものも、自給自足ができたらいい。超初心者なので、とりあえずバジルとレモングラスを庭先に植えてみた。
都会でしたいこと…ライブ行きたいとか、があるとちょっと困るけれど、それでも、豊かに日々を回せる。



そういう生活を是とすることが、今のおれに出来ることなんだろう。
もっと、若いやつら、おれと同じくらいの年かもっと年下…がこういう生活したい別に農業したいわけでもないけど田舎に移住したい、って思ってくれると、あと引っ越してきてくれると嬉しい。
そのためになにかもっと書けたら、と、今、そんな感じ。





2016/07/11 14:31 | 雑記  TOP

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