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「世の中甘くないよ」という呪いについて

3日くらい、連続で「世の中甘くないよ」「これからもっと辛いことがあるよ」と同じようなことを別々の人に言われたので、なんだかもやもやしていて、それについて考える。

まずひとつ言えるのは、絶対的な「世間」なんてものはない、ということだ。
その人が人生で出会って来た人たちの総体を私達は「世間」と認識しているのであって、
周りにいる人が違えば「世間」は違う。
周防大島に住む人の「世間」と東京の、例えば下北沢に住む人の「世間」は違うし、
アメリカに住む人の「世間」、韓国に住む人の「世間」も違うだろう。
学校の先生の「世間」と、小説家の「世間」と、レストランで働く人の「世間」も、きっと違う。

そしてどうやってその人の「世間」が決まるのかと言えば、単なる運と、人を見る目の良し悪しだ。
同じ共同体にどんな人がいるかは、ある程度運で決まる。
でも、どの共同体に属すか、誰と付き合うか、というのは自分で決められる。
付き合いたくない人とは、適当に距離を取ればいい。
周りに、付き合いたくない人しかいないのなら、居場所を変えればいい。
だから、もし私が誰かに対して「世間で辛い目にあって欲しくない」と思うのなら、
人を見る目を養いなさい、運を良くしなさい、と言うだろう。



あと、「世間は甘くない」の亜種として、「メジャーデビューしたらCD買ってあげる」というのがあるのだけれど、それも大きな認識違いだよなあ、と思っている。
音楽家に資格が要るという、勘違い。違うんだよ、俺はジャズピアニストって名乗ってるからジャズピアニストなんだよ。アーティストも、名乗ればアーティストだ。そこに「ピアニストの卵」「アーティストの卵」という補足は必要ない。
医大生なら、まだ免許を取っていないから「医者の卵」だろうが、どんなに稼ごうと自称するしかない以上ピアニストに卵もにわとりもないのである。プロのピアニストかどうか、ってなるとまた別の問題で、恐らくプロのラインというのは「それで飯が食えるかどうか」になるわけだけれど、俺は月に3万あれば飯は食えるので、「プロ」のハードルはとても低い。月収15万超えないとやってけないわ!って人に比べたら、格段にプロにはなりやすい環境である。
んで、です。
俺が自分でジャズピアニストだと名乗っている以上、俺の音楽に価値を感じて対価を支払う人がいれば、それは経済活動として成立する。例えばCDを自分で焼いて手売りしても、どこかのレーベルから出しても、(そりゃあ、お金をかければ録音機材がどう、印刷のクオリティがどう、というのは変わりますが)中身の価値は基本的に変わらない。
俺の音楽に価値を感じるかどうか、の問題でしかない。
だから、「メジャーデビューしたら云々」というのは、
「私はあなたの音楽についての価値判断が出来ないので、誰か偉そうな人のお墨付きが出たらお金を払います」ということだ。(余談だが、こういう台詞はサラリーマンに多い。上の判断待ち、ってことなんだろう)
あるいは「私はあなたの音楽に価値は感じませんが、どこか偉そうなところに認められたら、ご祝儀を払ってもいいですよ」ってことかもしれない。「偉そうなところ」は、「世間」と言い換えても可。
どっちにしろ、あんまり嬉しくはないなあ。


2000円のCDを15枚売る。一回1万円のライブを3回する。どちらかを1月のうちにこなせば、最低限プロのラインは超える(お金、もっと欲しいし税金も払いたいけど)。それだけの動員をするのに、実は「世間」ってそんなに必要ない。俺に対してお金を払ってくれる人が、100人~200人いれば活動自体は成立する。大島の人口を母数にしたとしても、1%でいい。とてもニッチでマイナーで、あなたの言う「世間」の中に5人もいれば多いほうだ。そして、その人たちは俺の味方だ。だって、俺の音楽に価値を認めてお金を払ってくれるわけだから。飽きられないために工夫するだとか、常に上を目指すだとか、ファンを大事にするだとか、持続的に稼いでいくための努力は必要だろう。でも、自分のことを好いてくれる人たちにお金をもらって生きていけるわけだから、必然的に俺にとっての世間は、とても優しい。
まだ200人もファン、いないけどね。


だから、「世間は甘くない」というなら、あなたがちょっと世間を甘くしたら、いいんじゃないかしら。
限定的に自分のファンを「世間」と考えると、あなたが私のファンになってくれたら、0.5%、私の世間は甘くなります。
甘くなった世間で、俺は頑張ります。
だって、「お前は駄目だ、そんなもん認めない」って言われるより、「好き!応援する!」って言われたほうがやる気出るに決まってるんだし(前者は言うべき人に言われれば効果は発揮するけど)。そうやって応援してくれる人が増えることで場数も踏めるし成長できる。ま、それで頑張って駄目なら、しゃーない。



そんなこと言ったって、お前が思うほど世間は甘くないぞ、って、まだ言われるかもしれない。
でもさ、「世間は甘くないぞ」って言われることによるメリットって、なんかある?
だって本当に世間が甘くないんなら、それはそのうち身を以って思い知らされることになるんだから、わざわざ予め言われる必要もないし。「世間は甘くないって言ってもらったお陰で、私助かりました!」なんてことにも、なりそうにないし。
逆に、もし「世間は甘くないぞ」という言葉を真に受けてしまった場合、それは呪いとして働きうる。
先入観、というやつだ。世間は厳しい、自分に優しくしてくれる人なんていないはずだ、という色眼鏡でものを見たら、自分を助けてくれる人、いい人、裏道脇道、というのが見えなくなって、「お金のために仕方なく」とか「世間体を気にして」とか、そういうのばかりが視界に入るようになる。
そして、「世間は厳しい」と思っている人の周りには、やっぱり「世間は厳しい」と思っている人が寄ってきて、その人はその人の世間に相応しい振る舞いをする。つまり、困ってる人を助けないし、軽々しく応援しないし、世間が認めないとお金を出さない。
そんな人たちに囲まれているのは、嫌だなあ。

でも、どうして「世間は厳しい」って言いたがるんだろうね。
考えてみる。
1、嫉妬。自分が必死に生きているのに、のほほんとしているように見えて嫉妬している。
つまり、貧乏人が金持ちに「貧乏人の苦労も知らずに…」って言うようなもの。
これは…あんまりピンと来ないけど、なくはないか。
2、保険。若者を応援したい気持ちはあるけれど、うまくいかなかったら自分ががっかりするから、
「世間は厳しいからしょうがない」という保険、言い訳を先にしておく。
…どうだろ?
3、「私(たち)があなたに優しいのは得難いことなんだから、もっと有難がりなさい」という意味。
「先輩の代はもっと厳しかったんだからね!」というのに似ている。
身内に言われるのは、この意味合いが大きいかもしれない。
でも、初対面の人にも言われるからなあ。

なんなんだろうね。
誰か、理由がわかったら、こっそり教えてください。



とりあえず俺は、誰かにとっての世間が甘くなるように、頑張ります。





2014/08/02 04:10 | 雑記  TOP

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