今までのこと、これからのこと

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三蒲の川沿いに舞っていた、ちょうちょ。休んだところを狙って、シャッターを切る。

ずっと、考えていた。これからどうしようか、ということだ。
お金の話で、生活の話で、人生の話だ。
よかったら、ちょっと聞いてくれ。

横浜から周防大島に越して来たのが、もう二年前になる。
2012年の5月。大学が終わってすぐだ。
ただの22歳の女の子だった。仲間内では思考が極端でちょっと悪目立ちするが、未だ何者でもない。
どうしてもピアノが弾きたかった。ピアノが弾けていなかった大学生の四年間は、楽しくなかったわけじゃないけれど、自分とは違う人間だったような気がする。
息を吹き返したかった。
自分に戻りたかった、魂を容れ直したかった。
もっと単純に言えば、「お前なしでは生きていかれない」ということである。
「お前がいないと駄目なんだ、もう一度やり直そう」……格好つけすぎかしらん。

ここへ来る少し前に、旅をした。瀬戸内海のあたりを。そこで一人のミュージシャンに出会った。
田舎で古い家を安く借りて、スタジオに改造して、貧乏だけどのびのび音楽をする。たまに仲間と都会でライブもする。
そういう面白いやつ。よくわからないアフリカの楽器を操っていた。
そういう生き方もありなのか、と思った。
当初は、東京でフリーターでもしながら、細々と音楽やってくかな、みたいな考えだった。要するに何も考えていなかったということだが。
旅から戻って、どこか田舎に住もう、一軒家を借りて、周りを気にしなくていいところで、ピアノを弾こう、と思った。
3歳から、高校卒業まで、ピアノを弾いていた。中学高校は、吹奏楽部だった。どうしようもなく音楽がやりたいことは自分で知っていたが、高校進学の時は音楽より勉強を取ったし、大学の時は音楽より上京を取った。
遅すぎたかもしれないが、ようやく音楽を取り戻せる。
そういう希望を持って、ここへ来た。

結果的に、ピアノは弾けた。
こっちに来た時に世話になった人が「ピアニストの子なんです」って紹介して連れ回してくれたし、一年目の12月に、名古屋の方にグランドピアノを譲っていただいた。
ライブも何度かやった。気にかけてくれる人、ライブ行くねって言ってくれる人、仕事をくれる人も増えた。
ありがたいことだ。
こうやって、ピアノを弾きながら、地域に貢献しながら、ゆるゆるとここで暮らしていけるかな、そうできるといいな、と思っていた。
大島の人たちはみんな優しくて、親切で、いいひとだから。ここは私にとって本当に居心地がいいし、大事にしたかった。すぐ引っ越していっちゃう薄情な人になりたくもなかった。

でも、そういう、いい子でい続けるのは、無理だ。
無理っていうか。当たり前に、全ての期待には応えられないよね、ってこと、なんだけど。

目指すところとして、俺はちゃんと音楽がやりたい。
勉強がしたい。本を読みたいし、体系的にまだまだ音楽を学びたいし、質の高い芸術に触れていたい。
音楽する仲間が欲しいし、師匠も欲しい。
ということになると、今の、大島での貧乏生活では、環境的に全っ然足りないのである。
(大学生のうちにやっておけよ、という声が聞こえる…だが俺の青春は文芸部でゆるゆると費やしてしまったのだ)
身近でどうにかならないか探してみたけど、どうにもならなかった。
未だにこの地域の文化レベルは低い。仲間も師匠も探せなかった。自分が文化的なことを発信・牽引する側に回ろうか、とも思ったけれど、よくよく考えてみたらそういうの向いてないし、やりたいとも思ってない。
なんていうか、移住者や若者の人たちが「大島でいかに生きていくか、盛り上げるか」(周防大島はIターンでやってくる人たちが多くて、面白くなってる島だ)をいつも考えてるから、俺もそれベースで考えてしまっていた。

大島は好きだ。
人と飯と海。何よりピアノが弾ける。
ここのために何かしたいとも思う。喜んでもらえたらいいなと思う。
でも、周りの人のためにピアノを弾くっていうのは無理だ。そういうポップスを、私は弾けない。
万人受けも、地域特化も、どうやら出来そうにない。
器用だから色々やってみたが、やれてしまうからってやりたいわけじゃないし、なにより俺が、つまんない。
なのでやめます。面白くなくてお金にならないピアノのことはやめます。辛いから。
あと前々から周りには言っていたけど、電子ピアノとかシンセとかも基本やめます。そういう音楽がしたくなったら引っ張り出すかもしれないけど。
俺は、俺の音楽が届き得る人たちに向けて、自分の音楽を磨きながらやっていくしかないんです。
そういうことです。

(続く)





2014/05/11 07:23 | 自己紹介  TOP

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