私は複数線になり

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後悔は、やりたかったことの分だけある。
だって結局、出来たことなんて一割もないと思うので。


人間一人でいろいろな顔があって、複数の立場があって、
都度、折り合いをつけたり引き裂かれたりしている。
わたしはなく。おれはさけぶ。それをみてもうひとり嗤っている。


ずっとここで暮らしたかった、と誰かが言った。だって、期待を裏切りたくなかった。
数少ない若者の数を、自分で減らしたくはなかった。
何も持たない、社会人経験のない若いやつでも、田舎で楽しく暮らしてゆけると、未来は明るいと、証明したかった。


そんな、ひとところに留まるなんて、お前には無理だよ。とあいつは言った。
その通りだな、と私は思った。同じ環境に長時間いると、私は腐る。日常に飽きて頭がぼんやりして自分がよくわからなくなる。
土地や学校と転々とした経験がそうさせたのか、もともとの資質なのかは、…おそらく後者が大きいんだろう。
違う土地に身を置き始めたとき、私は一番生き生きしている。旅は楽しい。土地を歩く。ひとを見る。
なにかを内に溜めてゆく。好奇心。解放感。私が私でいるための。


お金がないので病んだ。お金を稼ごうとしてくたばった。ばーかばーかばーか。
ここでは、お金がなくてもいろいろなことが出来るけれど、抗えない心身の反応として、お金がないと元気がなくなった。安定した収入源がないとなおさら。家にいるのが一番お金を使わずに済むので、精神も肉体も徐々にスリープしてゆく。新聞の数字パズルすら解けなくなっていたとき、ああ自分はこんなにも病んでいたのか、と実感した。怖いことだ。しかし、お金がなくても病むけれど、仕事をしても残念病む。ダブルバインド。こんなことはさんざん世間様で話題になっているけれど、ブラックな仕事環境というのはもう、ありふれすぎていて、お金を得ようとしてそれにいちいち突っ込んでいくとどうしようもなく疲弊した。良くしてくれたところもたくさんあるけれど、自分の体質と適性を鑑みて不幸にならない範囲でお金を稼ごうとして、したのに、立ち行かなくなってしまった。


自分で稼いで自由に生きたい。


4年間ピアノを弾いて、まだ実力が足りていない。練習なんて一人ですればいいと思っていたけれど、それは間違いだった。教育というものは馬鹿にできない。環境というものは人間の成長率に大いに影響する。仲間や先生、土地の文化的な素養はかなり重要な条件として存在して、私はついぞそれを構築できなかった。
自分のために力は発揮できないし、比較客観がなければ自分の強みすら判然としない。今まで一人で暮らしたことはあっても、文化的に孤立したことはなかったのだ。それはとても恵まれたことだったのだなと、失ってみればわかる。
なければ自分で作ればいいんじゃないのか?お前はそんなこともできないのか?まだ何も試していないくせに。ばーか。
理想を抱えて右往左往。気づけば期待はすり潰され、肩を落とし、自分の身を守るくらいで気持ちは使い果たされた。


だから、この引っ越しは、全然前向きなんかじゃない。完全な敗北宣言である。全部取りは、叶わなかった。どころか何も成していない。若者に世界は厳しい。理想なんて何十年追えばいいんだよ。時間をかけたところで大したところにたどり着けない例をさんざん見て、それでも諦めたくなんてなくて怖がる自分をなんとか説得して。
とは言え、終わっちまえば始まるしか道がない。
やりたいことは決まっている。
であれば、やるしかないのだ。
人生は続く。
はーーー。


本当にこれでよかったのか?問う。
よくはない。つらい。ずっと暮らしていたかった。
よくない。どうして十年暮らした土地にもう一度住まなくてはならないのか。
っていうか、音楽やりたいなら東京行くべきじゃないの。
愛されたい。家族がほしい。たった一人と生きていきたいのに。
スーパーの野菜、魚、おいしくないし。
ねえ、どうしてこうも甲斐性ないのさ、おれ。
もっと頑張れば良かったろ。や、はあ?頑張ったし。ふざけんなよ。
後悔なんてないほうがおかしい。



それでも、
それでも、
それでも、
ここでのたうち回って、笑って、泣いて、ピアノを弾いた日々は、
これからの自分を支えるでしょう。




無数の分岐線の自分に、追悼を捧げながら。
それでも大事なものは失わずに済んだことに、おれたちはおれに花束を贈ろう。





2017/11/05 02:01 | 雑記  TOP

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