死ぬのがこわいがピアノは弾く

 実家に行くたびに、「自分は死ぬのだ」ということを思い出している。とても恐ろしくなって、叫び出しそうになる。



 2週間くらい、北海道にいた。
 馬鹿みたいに寒い1月。試される大地北海道。瀬戸内の海はいつもとても優しいけれど、北海道の冬は人間を殺しにきている。


 どうしてなのかは、わからない。でも、実家の、近代的な、「お湯が沸きました」と喋る滑らない床の風呂場に居るとき。
 あるいは、祖父母の家の、空気も温度も冷え切っている古めかしい二階の部屋で、電気毛布で温められた布団に入って就寝しようとしているとき。


 いきなり、がつん、とやられる。


 おれは死ぬ。絶対に死ぬ。そうして世界から永遠に失われる。死に続ける。だがそれでも世界は続いていく。しかしおれが死んだら世界を認識できないわけだから、世界は終わりだ。おれが死んだら世界は終わる。世界が永遠に終わり続ける。
 なにもない。
 怖い。

 どうしよう、こわいこわいこわいこわいこわい。
 こわいという気持ちすら死んだら残らないのだろうが、それでもこわいものはこわいんだよ。


 死んだら何もない。





 ということをぐるぐると数日考え続け、最終的に実家でブリーチ読んだりバガボンド読んだりしてたら恐怖は段々収まってきたのだが、おれの脳みそが結局行きついたところは人生の無意味さだった。

 生きようが死のうがどうでもいい。
 誰が好きとか嫌いとか、不機嫌な顔をしちゃいけないとか、あったかくして布団に入らなくちゃいけないとか、未来の自分のために今頑張らなくちゃとか、ひととしてまっとうでありたいとか、
 ぜーーーんぶ、ほんとうは、どうでもいいことだった。

 だって死ぬし。

 そう、死ぬのだから、人からの評価とか、あるいは自分で自分のことをどう思うかとか、そういうのってどうでもいい。過去の自分や未来の自分にどう思われようかとか知ったことではない。今の自分は今しかいない。過去の自分も未来の自分も、今からすれば他人も同然だ。そして、未来の自分が過去の自分より偉いというわけじゃない。8歳の自分も27歳の自分も40歳の自分も、等価だ。
 なにをしたっていいし、なにもしなくたっていい。
 うん。


 と思いながら、大島の家に帰って、何日か寝て過ごした。
 飯は食っていたが、特に意味のあることはしなかった。ピアノも弾かなかった。なにかする理由が見つけられなかった。

 1日目、夢を見た。北海道の片田舎にあるジャズのライブハウスで、背の高い外国人デュオとピアノを弾く夢だった。
 2日目、ピアノを弾く夢を見た。詳細は覚えていない。
 3日目、リコーダーを吹く夢を見た。管楽器もすきだなと思った。曲はグリーンスリーブスだった。



 …………。
 わかったよわかりましたよ弾けばいいんだろうがよ弾けば。

 そうやってなし崩し的にピアノを弾き始めた。
 人生に意味はないが意味があっても特に困ることもない。
 音楽をやっていた人間が大体罹る「楽器に触れていないと気持ち悪い」っつー呪いにずっと背中から呪われながら、おれは今日も生きるんだろう。
 楽しい人生with呪い。



 あーはらへった。





2017/02/08 22:08 | 雑記  TOP

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