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今後の予定

島にいた時の話をします。CDを出します。エッセイを書きます。
楽しい音楽がしたいな。

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2019/05/20 10:00 | 音楽活動  TOP

北海道大震災の記録

この文章は、今月に起きた、北海道の大きな地震のときの、おれが経験したこと、大体全部です。
大分長いです。8000字以上あります。忘れないために、誰かが必要とした時のために、ここに残しておきます。
時間のある時にどうぞ。



2018年9月7日 22:10 書く

9月6日の深夜は、風連…北海道の北の方にある父方の祖母の家で、NHKのドキュメンタリーを観ていた。風連町は旭川と稚内(北海道の北端)の間くらいにある町で、平成の大合併で隣の市と合併したので今は名寄市ということになる。もちが特産の、年寄りばかりの過疎の町。月に一週間程度、祖母の様子を見に風連の祖母の家で寝泊まりしている。
テノール歌手の再起の物語が面白く、白ワインを片手についつい夜更かしをしてしまった。ネットがない家にいると、娯楽がテレビばかりになって、逆に眠るのが遅くなったりしてしまう。
番組終わりの池田理代子さんの解説までしっかり観てから、祖母の家の雑な時計(多分何分かずれてる)を見ると、大体3時。流石に寝ようと思って、二階の布団へ向かった。すぐ寝入った。
大して時間が経たないうちに、地震があった。揺れは大したことがなかったけれど、長かった。震度3くらいかな、と思った。東日本大震災の時は横浜にいたので、少々の地震にはもうなれている。(震源どこかな…十勝で前にでかい地震あったよな…)と考えはしたが、眠気に無理に勝たず、そのまま眠った。


翌朝、祖母が私のスマホを持って二階へ上がってきた。起こされる私。最近は階段が辛いと言う祖母が、そこまでして私を叩き起こしに来るのは緊急事態である。「名寄のおばあちゃん(つまり私の母方の祖母)に何かあったんじゃないかと思って」。着信を見ると母からである。
確か、この電話で、深夜の地震がかなり大変なやつだったと知った。
「停電で名寄のおばあちゃんに電話がつながらない、携帯電話も電池が切れているんだと思う、様子を見に行って欲しい」とのことだった。
母方の祖母は、9年前に夫(つまり私のおじいちゃんだが)を亡くして、今は一人暮らしだ。足が悪く、手を使うのも辛い時もあるようで、母と、叔母さん(母の妹)が、札幌からちょくちょく様子を見に行っている。
父方の祖母(風連のおばあちゃん)と、母方の祖母(名寄のおばあちゃん)の家は、車で15分くらい。行き来はしやすい距離なので、何か起これば私が駆り出される…こともある。

眠たい頭で話を聞きながら、何と返答したのか忘れたが、とりあえずまずは今いる家のことをしようと一階へ降りた。完全に停電しているので、応接間からラジオを持ち出して適当な周波数に合わせ、風呂や鍋に水を貯める。
このあたりの手順はもう常識のような気がしていたが、祖母はわかっていないようだった。まあ、北海道のなかでもこのあたりはとりわけ災害が少ないのだ。昨日来たお坊さんも、奥さんが「この辺は災害がなくて住みやすい土地だから」と言っていたと話をしていた。氷点下20度を越す地域で何が「住みやすい」だよと笑ってしまうが、地震も台風も土砂も来ないことには違いない。
居間では、テレビこそついていなかったが、日中は大きな窓から日が射し込むので、特段いつもと変わった雰囲気はなかった。祖母に聞くとトイレの水が流れないとのことなので、非常時どうするべきかをツイッターで「トイレ 流し方」で検索したらいい記事が出た。キッチンでバケツに水を汲んでそのまま便器に流したら、ちゃんときれいに流れてくれた。
断水がなかったのが救いだ。ほんとうに。

耳慣れない電子音がすると思ったら、固定電話の着信音だった。停電していても、着信はできるということだろう。電話の音だと気付くまで、少しかかった。試さなかったけれど、発信は多分できない。
近所に住んでいる伯父さん(従兄弟のお父さん)が様子を見に来てくれた。ラジオと水を確認して、「多分今日中には電気直ると思う」と言って出ていった。自衛隊にいたことのある伯父さんなので、近くにいてくれると、とても安心感がある。
朝ごはんを食べたり、着替えたりしていたら、母からLINEが来ていた。名寄の祖母の安否確認ができたとのこと。近所のお世話になっている人や、親戚の人が様子を見に行ってくれたようだった。「まだ行った方がいいの?」と聞くと「行った方がいいです」と返ってきたので、(これはいわゆる「不要不急の外出」ではないのか…?)と思いつつ、名寄の祖母の家に行く準備を始めた。泊まりの装備もちゃんと持って。

本当は風連の家の自転車に乗って行くつもりだったのだが(交通機関が止まっても機動力があるので)、祖母に止められたので大人しくタクシーを呼んでもらった。1万円を持たせてくれた。懐が痛まないのならタクシーだって使おうとも。他の家も混乱しているだろうに、こんな状況でタクシーつかまるのか…?と思ったけれど、難なく来てくれた。乗り込んで行き先を告げる。
道中、信号はひとつも点いていなかった。要所要所で、警察の人が交通整理をしてくれていた。どの車も、おっかなびっくり走っていたように見えた。
「大変なことになりましたね」、みたいな会話をタクシーの人とした気がする。4時間しか寝ていなかったので記憶が曖昧だ。そうでなくとも記憶にはあまり自信がないが。
いつもは父の運転で行く道を過ぎていく。運賃は、2930円。タクシーで来るとこんなもんなんだなーと素朴に思いながら、お金を払って降りた。

名寄の祖母の家(団地の一室だ)の呼び鈴を鳴らすが、どうも鳴っていない。がんがん、と扉を鳴らすと、「誰?」との声。「さつきです」と言うと、ドアが開いた。様子を見に来てくれていた親戚のおばさんが、丁度帰るところだった。入れ違いに部屋に入る。
名寄の祖母は、「携帯が使えないから」と充電器をコンセントに差していた。だから、停電だから!それ、いつまで経っても充電されないから!と突っ込む。すっとぼけてはいるが、いつも通りだったのでひと安心。とりあえず母に名寄の祖母宅に着いたことを連絡。風連の家の応接間にあった、祖父が競馬用に使っていたゴツくて四角いラジオ(考えてみれば遺品だ)をつけて、情報を得る。風呂とやかんに水を貯める。

供え物の菓子と、風連のおばあちゃんが作って茹でたとうきびも持ってきた。停電の時に、なにも考えずに食べられるものがあると楽だ。
やるべき一通りの手順を済ませ、眠くて仕方なかったので部屋に布団を敷いて眠った。だって4時間も寝ていない。寝入るまでの間に、名寄の祖母の通うデイサービスの職員さんが、様子を見に来てくれているのが会話でわかった。頼めば食事の用意もしてくれるそうだ。有り難いことだなと思いつつ寝た。

起きた。昼過ぎだった。電気はまだまだ来ていないが、昼飯は食べなくちゃならない。私がいつ起きるのかわからないので、おばあちゃんはもうご飯は済ませていた。
確か眠る前に米を研いでおいたんだと思う。3合。名寄の祖母の家はガスコンロなので、家で一番大きそうな鍋を出して、ガス火で米を炊いた。
一人暮らしの頃はよく土鍋で米を炊いていたので、私にとってはこの辺は慣れたものである。ラジオを聴いているうちに白米が炊き上がった。
「冷蔵庫にいくらがあるよ」と祖母が言うので、有り難くいただいた。
鍋で炊きたての白米に、つやつやのいくら。
いかにも北海道な贅沢である。何をしているんだろう。とても美味しい。
電気の通っていない冷凍庫の中身を見ると、あと食べといた方がいいのはしゃけ。多分うちの両親がデパートで買ってったやつだ。2切れある。
島に住んでいたときのお隣さんから電話をもらった。心配してくれたみたいだ。なんともない、また遊びにいくね、と言って切る。



ここから、9月12日夕方~書く

昼飯を食べたあと、一応物資を確保しに、町へ出た。名寄は、自衛隊と市立大学のある、そこそこ規模のある町だ。親の世代の感性で言えば、風連が田舎で、名寄がちょっとした都会なんだろうと思う。あればにんじんが欲しいとのこと。近くのセブンイレブンで、500mlペットボトルのソルティライチと生茶とばかうけを買う。パニックになった時、甘い飲み物があると少し落ち着く。ばかうけは、普段は食べないのだけれど、島の時のお隣さんたちとお茶をするときによく出してくれたので、懐かしくて買ってしまった。
西條(名寄では有名な、複合型スーパーだ)に行くと、既に今日の販売は終了していた。1時頃から3時頃まで営業していたらしい。ツイッターで営業情報を見たのだが、遅かった。

その後も名寄の商店街を歩き、名寄駅近くのQマート(西條系列の、小さなスーパー)に行ったら、丁度営業が開始されたところだった。にんじんと、はちみつレモンを買った。レジに、長い列ができていた。いつもと勝手が違うので、レジに人は3~4人いたが、随分一人の会計に時間がかかっていた。値段のわからない商品があると、店員さんが値札を見に行き「○○円!」と叫んでいた。
祖母の家近くのセイコーマートも寄ったけれど、ネットで見かけた「セイコーマート頑張ってる」的なものは、私が行ったところでは見られなかった。おにぎりはなかった気がするし、普通に停電したように見えた。セブンイレブンと変わりはない。

帰ると、名寄の祖母に良くしてくれるご近所さんから、卵とねぎとにんじん、あと春菊の差し入れがあった。夕飯には、春菊とにんじんを、おばあちゃんが和えてくれた。あとは冷蔵庫に移しておいた鮭を焼いて食べた。身が厚く、美味しかった。おばあちゃんが「しょっぱい」と言ったので、残した分は、次の日の昼に鮭チャーハンになった。世の中にはしょっぱい鮭が多いので、家のチャーハンにはよく鮭が入る。
夜になると暗くて身動きがとれなくなるので、その日の夕飯は5時に摂った。お風呂には入られないので、パジャマに着替えて「じゃあ寝るね」と寝た。昼にも寝ていたけれど、疲れていたらしく、すんなり眠れた。

朝まで寝るかと思っていたけれど、何故だか夜10時に起きた。お風呂に入らなかったからだろうか。家の中は真っ暗だった。とりあえずツイッターをチェックしてから、居間に出る。星がきれいとのことだけれどどうだろうかとカーテンを開けたら、街灯が点いていた。あれ、電気が来ている。家の照明の電気を入れると、ついた。停電が終わっている。これでひと安心だった。ツイッターと家族に、電気が来たと連絡。札幌の実家はまだ電気が来ていないらしかった。
震源地からこれだけ遠く、インフラも全部回復となれば、もう大して困ることもない。非常時終了。電気が来たのでお風呂に入れる。お湯をためて、ゆっくり浸かった。お風呂に入れるかどうかが、非常時と日常の境目だと思う。
1時くらいには、また寝た。疲れていれば、いくらでも眠れる。


次の日。
本当なら、風連のおばあちゃんの家に戻ろうと思っていたのだが、交通はほとんどストップ。JRは動かない、バスも名寄駅からイオン行きのもののみ。買い物客への配慮だろうか。食べ物はあった方がいいもんね。
絶えず連絡は取り合うし、ツイッターも見る。名寄の情報は、Airてっしのツイートが役に立った。交通や買い物の情報を入れてくれる。名寄市のツイッターがないことに驚いた。公式の情報がないと困る。アカウント作ってくれ名寄市。お願いします。
帰られないので、今日も名寄に泊まっていくしかなかった。想定していたこととはいえ、疲れる。名寄の祖母の家は、風連に比べると狭いので、プライバシーが確保しづらい。

一応買い物へ行こう、とうろうろ外へ出た。昨日行った西條は、今日は電気が来ていて、しっかり営業していた。アイス、牛乳、ヨーグルトはほぼ空になっていたけれど、野菜から魚、肉まで、大体のものは揃っていた。菓子パンと惣菜…は、この日はなかったと思う。店内は買い物客で賑わっていた。

名寄の祖父母の昔の家があったあたり(つまり母の実家のあった場所)を行くと、惣菜やさんがやっていたので、ふきの煮物と、いもの天ぷら、メンチカツを買った。「昨日は星がきれいだったから犬を連れて外へ出た」なんて災害トークに花が咲いていた。電気が来ないくらいならみんな呑気なものである。このあたりは揺れもさしてなかった。北海道と一口にくくってしまうけれど、震源地から名寄は本州なら2、3県またいでもおかしくない距離だ。
その日の夜は、西條で買ってきた冷凍餃子を焼いて食べた。ぎょうざは美味しい食べ物だ。冷凍食品はこういう時に本当に役に立ってくれる。
その日の夜は、電気が使えるようになってしまったので、ツイッターに張り付いて夜更かししてしまった。不安だったんだと思う。あとはそりの合わない祖母といるストレス。…こっちのが大きいかも。一緒にいることがお互いストレスなため、親からも基本的に「名寄の祖母の家には泊まらないように」との通告を受けているのだが、非常時なので仕方がない。

次の日は、いい天気だった。もう大体通常営業なので、祖母と一緒に買い物に行った。タクシーを使って、ストーブ屋さんの催事でサラダ油が無料で貰えるというので行き、西條にも買い物へ行き(菓子パンはこの日少し入荷があった)、家へ戻った。タクシー代のほうがサラダ油より高いという突っ込みは野暮である。風連へ戻るための荷造りをした。もうバスもJRも大体通常運行しているようだった。名寄の祖母が、風連の祖母へと頂き物の卵をおすそ分けしてくれる。家を出て、とんかつやで一人カツカレーを食べてから、バスに乗り、風連へ戻った。

風連の家も、特に地震で困っていることはないようだった。しかし、家電に何度かけてもつながらないと思っていたら、風連一帯で固定電話が繋がらないとのこと。風連のNTTで何かあったらしい。しかし、自分ちだけではなく風連全体でなので、そんなに困りはしないとのこと。

電気がこない、こないと言っていた札幌の実家も、この日の夜には電気が来た。お風呂が入れる、と嬉しそうにしている。風呂掃除が楽しいとのこと。良かった。
丁度買い物も行ったあとで、父がお土産に買ってきていた食パンもあったので、大して困ることはなく過ごせたそうだ。運が良かった。揺れの被害もほとんどなかったらしい。玄関に飾ってあった花瓶が動かなかったので、どうしてだろうと不思議がっていた。

風連に戻ると、東京の学校へ行っているおばさんが、帰省してきていた。安心感。ひとの面倒をよく見てくれる人なので、いてくれると頼もしい。その日はいとこの兄ちゃんと伯父さん、おばあちゃんで、伯母さんの作ってくれた料理を食べた。いとこ一家はみんなよく食べる。
みんな帰ったあと、チューハイが飲みたいとセブンイレブンでストロングゼロに類する酒(サッポロビールの出してる、9%のやつ)を買った。寝たら困るから風呂に入ってから飲むかと思って、風呂に入って、そのまま寝た。

次の日、朝早く起きて、8時のJRに乗って旭川へ向かった。札幌に帰るか、疲れたのでもう一泊していくか悩んだが、なんとなくこの日帰ることにした。伯母さんがいてくれれば私いらないしな。おばあちゃんが朝食を用意してくれていた。
ばたばたと家を出た。気をつけてね、みたいな挨拶をしたと思う。まあ、どうせまたすぐ来るから、いい。

行き先は、旭川動物園。地震の前から、ずっと行きたかったのだ。風連名寄と札幌を往復する間にあるので、なるべく動物園に寄ることにしているのだけれど、最近は家族で車移動をすることが多く、寄る余地がなかった。でも、一人でぷらぷらする時間が私には必要だ。
旭山動物園には、意外と人がいた。ペンギンのもぐもぐタイムの場所取りがちょっと困難な程度には。「がらっがら」というわけではないように、私には見えた。でも、「日曜日でこんなにすかすかなんて普通ないよね」という声が聞こえてきたので、そりゃそうだよな、天下の旭山動物園だもんな、と納得した。そういえば普段は平日に行っていたんだと思う。
ペンギンと、くじゃくと、カピバラと、アザラシと、と適当に見て回って、力尽きたので、旭川駅へ戻り、札幌駅行きのバスへ乗った。旭川駅近辺は、パン屋さんがやっていないこと以外は、大体いつも通りに見えた。

二時間かけて札幌駅に着いた。19時過ぎだったのだけれど、バスターミナル周辺の駅ビル店舗が、軒並みシャッターになっていることに驚いた。短縮営業というやつ。父が迎えに来てくれていた。車まで行くと、妹も乗っている。あれ、なぜ?「これから仕事だから」。なるほど、父はこういうとき駆り出される仕事なのだな。20時から当番だと言う。お疲れさま。地震が起きたときは、十何階にある職場まで歩いて上ったらしい。妹の運転で、家まで帰った。
札幌の街並みは、いつもと違っていた。地割れなどの被害は見えるところにはなかったけれど、街の明かりがない。道北とは、事情が違う。震源地近くに来た感じがした。
家についた。炊いておいてもらった玄米と、しゃけを食べた。このしゃけもおいしかった。

被害は少なかったにしろ、揺れはかなりのものだったようだった。私も東日本大震災の時に横浜にいたので、なんとなくはわかる。本震だけなら良いが、停電に余震、被災地の悲しみと疲弊を伝えるメディア。疲れることこの上ない。だけれど、あの時よりは、よほどましだ。原発はメルトダウンしないし、社会が混乱に陥ったりはしないし、大学の授業開始が一ヶ月遅れたりもしない。津波もない。電力会社の対応(というか、危機管理)はお粗末だったのかもしれないが、土砂災害と液状化の二本で対応が済むのなら、あれだけの規模の地震が起こったにしては随分神様の温情があった方ではないだろうか。時期も良かった。これが雪まつりの時期だったなら、凍死者が出ていてもおかしくない。

電力消費を抑えて、輪番停電になるかも、との報道があったが、うるせーおれは好きにいつも通り電気使うわ!企業が頑張れよ、おれはもうそれには飽き飽きなんだよ!という気持ちだった。電力消費を抑えて気持ちが落ち込むくらいなら、輪番停電になった方がよほどいい。震災にも非常時にも、もうおれは飽きた。厭になった。企業とパチンコ屋が節電して駄目ならもう知らないってなもんである。
自分の部屋へ行くと、本が何冊かと、スピーカー、トラックボールが落ちていた。トラックボールのボールだけ落ちていたのが不可解だったが(そう簡単に外れるものではないのだ)、恐らく母が本体だけ机の上に戻したんだろう。
本棚から落下したかなり読んだ本と、大好きなアニメのブルーレイのケースに傷がついていた。あまりものを大事にはしていないけれど、これは少し悲しい。背表紙がぐちゃぐちゃだ。
地震直後は、階段脇に飾ってあったマトリョーシカ(中身全部出てる)が散らばって、手探りで暗闇を歩く中、なにかのトラップのようになってしまったらしい。怖いな。

facebookの中には、同じ北区内に住んでいるひとで、本棚が倒れてしまった人もいた。札幌の中でも、場所と、家のつくりによって、被害もまちまちだ。液状化でひどいことになった清田区の里塚に、父が仕事で行ってきたのだが、「ずっといると平衡感覚がおかしくなる」とのことだった。悲惨、とも。

次の日、スーパーへ買い物へ行った。豆腐・納豆のコーナーはからっから、肉もほとんどなし、牛乳・ヨーグルト、チーズ・バターの棚はなんもなし。菓子パン・カップラーメンもほぼなし。人口の違いもあって、こちらの方がやはり切迫している。
次の日の月曜、ジャンプが売っていなかった。うっ。非日常はまだ終わっていなかった。電子で買おうと思えば買えたのだが、やっぱり紙が良い。回し読みもするし。二日後の水曜日に、札幌駅の本屋で、やっとジャンプを手に入れることができた。いつもより面白い気がするのは、恋しかったからではなく、山場の漫画が多かったからだろう。

今日は、9月12日、水曜日。短縮営業のところもまだあるけれど、今いる札幌駅のスタバはいつも通りの営業時間だ。スタバは久しぶりに来たけれど、チャイティーラテのアイスと、チャンクチョコレートスコーンがめっちゃ美味しい。日常は戻りつつある。この分なら、品切れをずっと起こしていた牛乳も、近日中には手に入るようになるだろう。

被害の大きいところを除けば、札幌市民、北海道民には、つかの間の非日常だった。東日本の時の、世界がひっくり返ったような衝撃を思えば。
だって、二日間の停電で済んだのだ。災害としては、まだ易しい方だったと思う。最悪のことに対応できるような備えはきっとされていない。例えば、雪まつりの、一番寒い時期、観光客でいっぱいの札幌で地震が起きたとき、全員が生き延びられる用意は、されていないはずだ。怖いことだ。寒ければ人は死ぬのだ。
我が家は、とりあえず、石油ストーブを買おうと思う。パネルヒーターが死んだら、にっちもさっちもいかなくなる。
あとは、ペットボトルの水を何ケースか。我が家は災害を甘く見積もっていた。生き残るためには準備が必要だ。行政がある程度準備をしてくれるにしても、どれだけの人が自前で準備が出来ているかどうかで、全体の生き残り率は上がるはずだ。

一昨日、厚真町のボランティア募集要項が発表されたので見た。道内からのみ、日帰り必須。車のない私にはどうやら無理そうだ。身は空いているけれど、そこはどうしようもない。
そのうち、タイミングがあれば、行くこともあるだろう。
とりあえずは、私は私のことをやろうと思う。
とにかく、生活は続く。
貪欲に生きる。





2018/09/27 23:31 | 雑記  TOP

地震があったけれど

北海道では大きな地震がありましたが、おれは無事です。

しばらくブログも書いていなくて、もう誰も見ていないのかもしれないけれど、書きたいことがあって戻ってきてしまった。
やっぱり、自分で、自分のために作った場なだけあって、ここはすごくモノが言いやすいところで。


書きたいことっていうのは、地震のことだ。
先週の木曜日に起こった、例の、大きなやつ。
おれや、おれの周りの人たちは、致命的な被害はなかったけれど、まず北海道にあんな大きな地震が来るってことが、…少なくとも札幌の機能が麻痺するほどの地震が来るのが、今までないことだった。その日、何が起きたかっていうのを、覚えているうちに書き残しておきたかった。
東日本大震災の時は、動揺してなにも出来なかったから、それのリベンジでもある。
今回は、そこまでは、精神的に揺らがずに済んだ。


今のあなたに興味深い読み物かもしれないし、後から誰かの役に立つこともあるかもしれない。
そして、今の自分にとって、やるべきことに思えた。やっておかなくちゃいけない気になっていた。
なので、書いた。


誰かが読むことがあると、信じている。
書いたからには、その可能性がある。
嬉しい。楽しい。





2018/09/15 22:59 | 雑記  TOP

引越し完了

引越しが終わった。周防大島から札幌へ。
まー引越しっつーのはどたばたするもんなんだろうが、うん、ひたすらどったんばったんしていました。
家財の処分に、挨拶回り、荷造り等々。
最後にご近所さんに掃除やなんやかやを助けてもらってとても助かりました。引越しはマンパワーが必要なんだよな…。一軒家暮らしから部屋一つにするにはものすごく身を軽くしなくちゃならなくて、モノを減らすのにかなりの労力が必要だった。受け取ってくれたひとたち、ありがとう。自分が所有していると思っていたものでも、あちらそちらへ流転して居場所を変えていくのだなあと思い知ったよ。あの世に持ってけるのはこの身一つ、なんてね。


ああ。
終わったなあ。


なんて感慨、実は今はなくて。ふふ。
というのも、札幌行きの飛行機を乗り過ごした。
荷物も預け終わって、空港でラーメン食べて、お土産買って、出発の時間に間に合わなかった。
馬鹿だと思うでしょ?はい、馬鹿です、正真正銘。
多分過労と睡眠不足でおかしくなってたんだと思う。検査場に着いたのが出発の3分前で、検査の列に並ぼうとした時には係員さんがおれの名前を呼んでいた。飛行機に乗れないといった旨のことを告げられた。丁寧に。
重い荷物を持ってうろうろしていたので、というか「あとは飛行機さえ乗れば終わる!あとは実家で何日でも風呂入って寝てりゃ回復するだろ!」っていう見込みでスケジュールと体調を管理していたので、精神も身体もかなりぎりぎりで、いやそのことに自覚がなかったのだけど、終わってみるとそうだった。飛行機を逃したと思い知ったとき、もう本当に放心してしまった。途方にくれる気力もないというか。
その後いろいろあって、結局福岡に3泊もしてから札幌に向かうことになった。もうあんまり福岡には行きたくない。飛行機に乗れる自信がない。
実家に到着してすぐに荷物は着いて(出してから4~5日も経ってたので当然である)、引越しは終了となった。未だ段ボールに囲まれて生活している。一番の大荷物、グランドピアノは多分そろそろ着くであろう。そうなったらやっと部屋が作れる。なんの因果か、また畳の部屋でピアノを弾くことになった。そういう運命だと思ってごろごろする。

色々、やんなきゃいけないことはある。連絡とかしそびれてる。ごめん。
あるけど、とりあえず一息。
お疲れ様でした。
世話になったひとも。家も。おれ自身も。
いったん、おしまい。

今は、肩の荷がおりて、多少は気楽だ。
人生が楽しくなればいいと思う。笑って生きたいと願っている。
しばらく休んで、きっとそのうちがんばります。





2017/12/02 03:14 | 雑記  TOP

私は複数線になり

DSC_0070 (2)


後悔は、やりたかったことの分だけある。
だって結局、出来たことなんて一割もないと思うので。


人間一人でいろいろな顔があって、複数の立場があって、
都度、折り合いをつけたり引き裂かれたりしている。
わたしはなく。おれはさけぶ。それをみてもうひとり嗤っている。


ずっとここで暮らしたかった、と誰かが言った。だって、期待を裏切りたくなかった。
数少ない若者の数を、自分で減らしたくはなかった。
何も持たない、社会人経験のない若いやつでも、田舎で楽しく暮らしてゆけると、未来は明るいと、証明したかった。


そんな、ひとところに留まるなんて、お前には無理だよ。とあいつは言った。
その通りだな、と私は思った。同じ環境に長時間いると、私は腐る。日常に飽きて頭がぼんやりして自分がよくわからなくなる。
土地や学校と転々とした経験がそうさせたのか、もともとの資質なのかは、…おそらく後者が大きいんだろう。
違う土地に身を置き始めたとき、私は一番生き生きしている。旅は楽しい。土地を歩く。ひとを見る。
なにかを内に溜めてゆく。好奇心。解放感。私が私でいるための。


お金がないので病んだ。お金を稼ごうとしてくたばった。ばーかばーかばーか。
ここでは、お金がなくてもいろいろなことが出来るけれど、抗えない心身の反応として、お金がないと元気がなくなった。安定した収入源がないとなおさら。家にいるのが一番お金を使わずに済むので、精神も肉体も徐々にスリープしてゆく。新聞の数字パズルすら解けなくなっていたとき、ああ自分はこんなにも病んでいたのか、と実感した。怖いことだ。しかし、お金がなくても病むけれど、仕事をしても残念病む。ダブルバインド。こんなことはさんざん世間様で話題になっているけれど、ブラックな仕事環境というのはもう、ありふれすぎていて、お金を得ようとしてそれにいちいち突っ込んでいくとどうしようもなく疲弊した。良くしてくれたところもたくさんあるけれど、自分の体質と適性を鑑みて不幸にならない範囲でお金を稼ごうとして、したのに、立ち行かなくなってしまった。


自分で稼いで自由に生きたい。


4年間ピアノを弾いて、まだ実力が足りていない。練習なんて一人ですればいいと思っていたけれど、それは間違いだった。教育というものは馬鹿にできない。環境というものは人間の成長率に大いに影響する。仲間や先生、土地の文化的な素養はかなり重要な条件として存在して、私はついぞそれを構築できなかった。
自分のために力は発揮できないし、比較客観がなければ自分の強みすら判然としない。今まで一人で暮らしたことはあっても、文化的に孤立したことはなかったのだ。それはとても恵まれたことだったのだなと、失ってみればわかる。
なければ自分で作ればいいんじゃないのか?お前はそんなこともできないのか?まだ何も試していないくせに。ばーか。
理想を抱えて右往左往。気づけば期待はすり潰され、肩を落とし、自分の身を守るくらいで気持ちは使い果たされた。


だから、この引っ越しは、全然前向きなんかじゃない。完全な敗北宣言である。全部取りは、叶わなかった。どころか何も成していない。若者に世界は厳しい。理想なんて何十年追えばいいんだよ。時間をかけたところで大したところにたどり着けない例をさんざん見て、それでも諦めたくなんてなくて怖がる自分をなんとか説得して。
とは言え、終わっちまえば始まるしか道がない。
やりたいことは決まっている。
であれば、やるしかないのだ。
人生は続く。
はーーー。


本当にこれでよかったのか?問う。
よくはない。つらい。ずっと暮らしていたかった。
よくない。どうして十年暮らした土地にもう一度住まなくてはならないのか。
っていうか、音楽やりたいなら東京行くべきじゃないの。
愛されたい。家族がほしい。たった一人と生きていきたいのに。
スーパーの野菜、魚、おいしくないし。
ねえ、どうしてこうも甲斐性ないのさ、おれ。
もっと頑張れば良かったろ。や、はあ?頑張ったし。ふざけんなよ。
後悔なんてないほうがおかしい。



それでも、
それでも、
それでも、
ここでのたうち回って、笑って、泣いて、ピアノを弾いた日々は、
これからの自分を支えるでしょう。




無数の分岐線の自分に、追悼を捧げながら。
それでも大事なものは失わずに済んだことに、おれたちはおれに花束を贈ろう。





2017/11/05 02:01 | 雑記  TOP

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